だいじょうぶだ50代~50代のing

50代の世界観を書きます

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

【12】柔軟さ

フリーになる。何度も考えたが、使われる身も、会社経営も、個人事業者も大変さは変わらない気がする。 むしろ使われている方が経営のことを考えなくていいので数字に弱い私は気が楽だ。 繁忙期につき、つづく

【11】友達は移り変わるもの

一生友達でいられる人もいるかも知れないけれど、私の場合、年々友達は減り(減らし)、新しい友達をつくらなくなりました。友達はつくるものではない。そう。私は田舎育ちだったので、友達はつくるものと考えていたように感じます。 昔は縁が切れるのが怖くて…

【10】都会に出て挫折

都会に出たものの、過干渉な親から離れたいのが80%だったため、どんな仕事がしたいか深く考えていなくて、転職には苦しみました。今までの職歴を活かした仕事、はというと土日が休みではなかったため、事務職に就きたくなっていました。一見芯が通っていそう…

【9】宝飾店員へ

その店には私を含め、店員が7名いました。経営陣3名、雇われ店員は4名。その中に長年勤めてた先輩がいました。当然顧客が何人もついている。先輩についている顧客をとったところで、店の売り上げは伸ばせません。新規のお客様を自分につけ、定期的に買っ…

【8】はじめは事務職でしたが

辞めて実家に帰り、母のすすめで雑貨屋の店員になりました。 ぼーっとしている娘をゆるせない母。母が求人を見つけては娘に受けろという。そりゃそうです。私でもそう思う。対して父は子に甘く、文句はひとつも言いませんでした。私でもそう思う割りにその頃…

【7】とにかくあっという間に過ぎた人生

20歳までは毎日が長かった。特に学生時代は勉強が大嫌いだったので、毎日が苦痛で長かった。 「私は仕事に向いている」と気づいたのは高校半ば。私は進学するのをやめた。 勉強するのがバカバカしくなったのだ。就職に強い高校ではなかったため、あまり思…

【6】時代は大きく変わった

あの頃の小学生だった私に、今のおばちゃんになった私が会いたい、会ってみたいとすっごく思います。が、それはできない。 父母が私の年齢だった頃に今の私で会ってみたい!ってすっごく思う。それもできないことだけど。私が27歳の時、母は今の私と同じ歳…

【5】まだ日曜しか休みのなかったころ

小学校時代土曜日は半日学校で、父も土曜日は半日仕事でした。母は専業主婦。当時の母親のほとんどが専業主婦でした。祝日も今よりぐーっと少なかった。 遊び相手は、空と大地と山と川、小さなダムでした。雨の日はリカちゃん。 一番好きだったお菓子は松田…

【4】昭和40年代からの電化製品

ばあちゃんという人が保険をやっていて、もうかっていました。母はばあちゃんからおこづかいをもらっていました。保険もいいのに入れてもらって、満期が来たら高額もらっていたと思います。 そんな母の趣味は「新し物好き」でした。それは異常で、子供心に「…

【3】ポケベル→ピッチ→携帯→スマホ

おばちゃんに歴史あり。 20代の頃「どーしておじさんおばさんて昔の話をするんだろう」とうざったく思っていたけれど、おばちゃんになったらわかりました。歴史があるんだから仕方ない、と。 私の若い頃はね、的な話はおばちゃんになった今でも、他人のは…

【2】東芝ルポSHARP書院富士通一太郎

を知ってるかい?「おばちゃんの若いころはね~」 身近に自分を「おばちゃん」という人が減っていると思うけど、私はこれから自分のことを「おばちゃん」と書きます。 おばちゃんと書いた方が、ゆるしてもらえる気がするから、ぶはは ところで表題。昔はパソ…

【1】今わたしに革命が起きている

【2018年5月27日(日)ブログ開設】 西野亮廣さんの「革命のファンファーレ」あんちゃの「アソビくるう人生をきみに。」を読みブログ開設しました。 土曜日にWワーク始めようと思っていたけど、からだ、もたない! 仕事は、大手メーカーでほぼ立ち仕事。営業の…