だいじょうぶだ50代~50代のing

50代の世界観を書きます

【6】時代は大きく変わった

あの頃の小学生だった私に、今のおばちゃんになった私が会いたい、会ってみたいとすっごく思います。が、それはできない。

父母が私の年齢だった頃に今の私で会ってみたい!ってすっごく思う。それもできないことだけど。私が27歳の時、母は今の私と同じ歳でした。私に子供はいないけれど、今私に27歳の子供がいたとしたら、、、会社にいるわ。子供っぽいな、あの子たち。逆に当時の母はというと、今のおばちゃんになった私より「おばちゃん」でした。がはは

現代の50代の女性の方がハツラツとして、スマホを使えて若々しいと思います。

でもこれ、時代だと思うんだよね。父母の生まれた昭和10年代は死ぬだの、貧しさに負けただの色恋ざただので超マイナス思考の育ち。家にカギをかけない時代でしたが、世の中は紛争が多く過激派が事件を起こしていました。テレビ全盛期で夜更かしして浅間山荘の事件とか見ていました。ウィークエンダーの時代です。

人はマイナス思考の渦の中にいると、自分もマイナス思考になります。からだが弱いのもあったけど、母は超マイナス思考でした。そんな母を見て反面教師になった私。

小さい頃から母の口癖だった「あの人にこう言われた」「あー言われた」って愚痴を聞くのが嫌だったため「私だったらそう言われたらこう言い返す」と母にアドバイスしていました。でも母という人は自分が我慢するのが美徳、嫌われたくないから言わないという人で、そのうっぷんの矛先は私たち子供に来ていた訳です。

私はそんなおばちゃんにはなりたくなくて、自分を守るために我を強く保ちました。

でも思春期になった中学のある日。転校生が来て、女子はいじめのターゲットになったのでした。つづく

【5】まだ日曜しか休みのなかったころ

小学校時代土曜日は半日学校で、父も土曜日は半日仕事でした。母は専業主婦。当時の母親のほとんどが専業主婦でした。祝日も今よりぐーっと少なかった。

遊び相手は、空と大地と山と川、小さなダムでした。雨の日はリカちゃん。

一番好きだったお菓子は松田食品のベビースターラーメン

特に小さなダムとリカちゃん遊びは、おばちゃんの知恵と工夫と想像力をつけました。

小さいダムは山の中のあちこちに雪水をせき止める場所としてあり、そこに行く時は手ぶらでした。

現地で包丁になりそうなものを探して、草がおかずでご飯支度。これは友達がいなくても妄想の世界でできる遊びでした。料理好きになったのはこの経験があるからです。ただし、妄想が過ぎて結婚は、おばちゃんの理想とする生活ではなく窮屈で合いませんでした。ぶはは

つづく

【4】昭和40年代からの電化製品

ばあちゃんという人が保険をやっていて、もうかっていました。母はばあちゃんからおこづかいをもらっていました。保険もいいのに入れてもらって、満期が来たら高額もらっていたと思います。

そんな母の趣味は「新し物好き」でした。それは異常で、子供心に「なんで毎月家の中が変わるんだろう」と不思議に思っていました。茶箪笥がサイドボードになった時代で、家具はがっちり重く、組み立ててありました。母は飽きたら買い替え。飽きたら買い替えしていました。それだけでもどうかと思うけど、じゅうたんに関しては年に何回も変わり、してまた模様替えも大好きで学校から帰ってきたらよそのおうちに帰ってきたかと思うほどでした。まだぽっちゃん便所で家のカギなんてかけている家とかけていない家がありました。うちの中で一番買い替えたのは、テレビじゃないかな?リモコンテレビ内蔵のテレビが発売されたら来週にはうちにある、うちはそんな家でした。まだテレビは枠が木造で台も木、重かった。父は田舎街の公務員で平均的な家庭でした。つづく

【3】ポケベル→ピッチ→携帯→スマホ

おばちゃんに歴史あり。

20代の頃「どーしておじさんおばさんて昔の話をするんだろう」とうざったく思っていたけれど、おばちゃんになったらわかりました。歴史があるんだから仕方ない、と。

私の若い頃はね、的な話はおばちゃんになった今でも、他人のはどーでもいいので書かないけれど昔話は書きます、あたくし。

昭和40年代は、今のように世界がめまぐるしく変わった年代です。

今は仮想ですが、当時はリアルで電化製品や車、お菓子がどんどん開発発売されました。この「お菓子」という部分がテレビやネットでは、はぶかれています。

おばちゃんが小さい頃はおやつと言えば、魚肉ソーセージとかっぱえびせん、お口の恋人ロッテのガーナチョコレートぐらいしかありませんでした。40年代半ばから昭和55年ぐらいまで、新商品を発売したら売れる時代が続いたのではないでしょうか?

田舎暮らしだったので外食産業も少なく、でも、父がグルメだったので食堂や焼き肉、寿司屋はよく連れて行ってくれました。まだケンタッキーが日本、北海道に進出してきていなかったと思います。

父は、家に部下をよく呼んでどんちゃん騒ぎをしていました。朝起きたらジンギスカン鍋が脂でギトギトで、タバコ臭い。そんな時代でした。当時はお中元、お歳暮も盛んで、酒とボンレスハムがほとんど。それを包み直して別のおうちに送るのが小学校時代の思い出です。宅配便てものはまだなかったと思います。そう👆️郵便でした。色々郵便で送っていたなぁ。今のおばちゃんの生活より、よっぽど良いものを食べさせてもらっていました。カニもメロンも一人一杯、一人一個あたっていたなぁ。ピアノも買ってもらえたしね。ステイタスの意味が違っていた、今と。今は実力とかパソコンに長けている人が上にいけるけど、当時は子供が公務員になるのが親の理想で、ピアノを持っているかどうかで隣の家との差別化になるというか。おばちゃんは当時わたしより若かった母のそんなところに反発して大きくなりました。つづく

 

【2】東芝ルポSHARP書院富士通一太郎

を知ってるかい?「おばちゃんの若いころはね~」

身近に自分を「おばちゃん」という人が減っていると思うけど、私はこれから自分のことを「おばちゃん」と書きます。

おばちゃんと書いた方が、ゆるしてもらえる気がするから、ぶはは

ところで表題。昔はパソコンが電子レンジみたいにでかく、ロータス123でやれることはデータ入力だけ。だったんです。

おばちゃんは、昭和40年代生まれ(ざっくり)。バブルの頃にパソコンと出会いました。

おばちゃんの友人の一人は「これからパソコンの時代が来るからやっといた方がいいよ」と言っていて、今思うとカノジョは先見の明があったと思います。単にドラえもん読んでいたかもですが。

世の中の働き方が変わったのはスマホが出現してからです。

今から20年前におばちゃんもパソコンを買いました。ソニーVAIO楽天でオークション詐欺にも遭い、ブログを細々と書いていました。

初めてヒトを真剣に好きになったのもこのころ。つづく

【1】今わたしに革命が起きている

【2018年5月27日(日)ブログ開設】

 

西野亮廣さんの「革命のファンファーレ」あんちゃの「アソビくるう人生をきみに。」を読みブログ開設しました。

 

土曜日にWワーク始めようと思っていたけど、からだ、もたない!

 

仕事は、大手メーカーでほぼ立ち仕事。営業のツールになるのかな?そんな感じ

 

昨年腰のヘルニアやりました。昔、首もヘルニアやってます。無理したくねー

 

そんなんで、うさぎ飼ってます。Instagramもやってます。